従軍慰安婦が高額な賃金によって募集された人達ではなく、強制連行された人達であったと言う証拠は、元慰安婦たちの証言以外にはない。その証言を聞くと、洋公主と勘違いしている可能性が!?
年度 日本軍慰安婦関連記事数 洋公主関係記事数 1951-55年 1件 17件 1956-60年 0件 36件 1961-65年 0件 56件 1966-70年 1件 118件 1971-75年 5件 39件 1976-80年 0件 20件 1981-85年 4件 9件 1986-90年 5件 8件 1991-95年 616件 3件
上の表は韓国の東亜日報の記事の中で、慰安婦について書いている記事の数です。
日本軍慰安婦関連記事とは「日本の戦時中の慰安婦」のことで、洋公主とは韓国政府主導で行った「米軍・国連軍慰安婦」のことです。
1990年頃まで、日本の慰安婦のことはまるで問題になってなかったことが分かります。
日本は問題になることなんて一切していなかったのですから、当たり前のことですが・・・。
しかし、1991年以降急増しています。
一体何があったのでしょうか。
それまで全然と言うほど問題になっていなかった慰安婦問題が問題になり出した原因は、1977年に元陸軍軍人を自称する吉田清治という人が自署「朝鮮人慰安婦と日本人」と言う本において、軍の命令で自身が韓国の済州島で女性を「強制連行」して慰安婦にしたと告白したことに始まります。
さらに吉田清治は、1982年に樺太裁判で済州島で朝鮮人奴隷狩りを行ったと証言し、1983年7月に戦中済州島で自ら200人の女性を拉致し慰安婦にしたと証言する『私の戦争犯罪―朝鮮人強制連行』(三一書房)を出版したことに始まります。
この本自体はあまり問題にされず、大きな関心を引かなかったのですが、朝日新聞が1983年11月に吉田清治を紹介し、以降16回に渡って従軍慰安婦の嘘を取り上げて報道します。
その後、1995年に吉田清治は自らの主張が嘘であったことを認め、その後も史実として報道していた朝日新聞も32年後の2014年8月5日に記事を撤回することになる。
一方韓国では、挺身隊として動員された女性20万人の内、朝鮮人女性は5万人から7万人であったという韓国日刊紙の内容を、1984年に20万人の朝鮮人女性を挺身隊として連行し、5万人から7万人が慰安婦とされたと置き換えて報道したことを発端に、今では650万人の女性が挺身隊として動員され、数十万人の女性が強制的に性奴隷にされたと国定教科書などに載せている。
1940年当時の16歳から21歳の朝鮮人女性は125万人であり、20歳から40歳までの朝鮮人男性は321万人であった為、実に総人口以上の人が動員されたことになっている。
吉田清治の本は1989年に韓国でも出版され、同じ年に韓国の済州島新聞(1989年8月14日付け)によって虚偽であることが判明されたが、吉田清治は韓国に渡り謝罪碑建立と謝罪活動を始めた。
こうしたことを背景に1990年に日本軍慰安婦問題を新聞などのメディアで大々的に取り上げられて、日本軍慰安婦の問題が韓国において大きな問題になる。
1991年には、韓国で慰安婦が初めて名乗り出て、自らの体験を語り出した(証言)。
吉田清治はその後も日本、韓国、アメリカなどで講演を行ったり、メディアに精力的に出演して、問題を広げていった。
1991年の韓国のMBC放送が従軍慰安婦の映画である「黎明の瞳」を放映し、最高視聴率58.4%を記録している。
さらに、社民党の福島瑞穂らが慰安婦として名乗り出た金学順を韓国から探し出してきて、この話をNHKに売り込んだ上に、金学順に台詞指導などを行ったことが分かっている。この時点では、敗戦で無効になった軍票で支払われた給与の賠償が目的だった。
さらに、福島瑞穂は1991年に日本政府相手に慰安婦補償を求めた損害賠償請求裁判を提訴し、敗訴している。
その裁判で、金学順は「親に売られてキーセン(売春婦)になった」と証言しているが、朝日新聞は「軍が慰安婦を女子挺身隊として強制連行した」とねつ造して報道し、それを受けて福島瑞穂らも訴状を「軍に連行された」に変更している。
こういった朝日新聞の報道を受け、事実確認をしないまま加藤紘一官房長官が1992年に「お詫びと反省」の談話を発表。
それを受けて、韓国は翌日「国民学校の生徒まで慰安婦にさせた日帝の蛮行」とねつ造報道をします。
同じ日、宮沢首相は「軍の関与を認め、おわびしたい」と述べ、日韓首脳会談で8回謝罪(韓国主席補佐官が謝罪回数を発表と言う無礼を働く)し、「真相究明」を約束します。
その後、日本政府の第一次調査では「強制連行」を立証する資料はなかったとしたが、韓国政府は受け入れずに、強制性を認めるよう日本に要求してきます。
日本政府は再度調査を行なったが、やはり強制連行を行ったことを示す資料は存在しなかった。
しかし1993年8月4日、政府調査の結果発表の際に、河野洋平官房長官が「河野談話」を発表し、「日本政府が強制したということは認めたわけではない」が、「日常生活に強制性が見られた」と解釈し、反省とお詫びの意を示した。
また、1994年から、韓国政府から強く要望されていた高校歴史教科書へ慰安婦の記述が行われ、高校・中学校のほとんどの歴史教科書で従軍慰安婦として記載されていた(1999年まで)。
その後も吉田清治は韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、前述の通り、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めている。
また、2007年に安倍晋三首相は「虚偽と判明した吉田証言以外に官憲の関与の証言はない」と答弁している。
現在、韓国は従軍慰安婦の像などをアメリカなどに立て続け、嘘を広げ、問題が大きくなってきている。
慰安婦について、吉田清治の嘘を朝日新聞が広め、それを韓国が広め、嘘を大きくしていったというのが原因である。
現在、元慰安婦の怪しい証言を除き、アメリカの公文書を始め、慰安婦は売春婦だったという証拠以外見つかっていない。