従軍慰安婦が高額な賃金によって募集された人達ではなく、強制連行された人達であったと言う証拠は、元慰安婦たちの証言以外にはない。その証言を聞くと、洋公主と勘違いしている可能性が!?
洋公主とは、韓国軍慰安婦のことである。
日本が大東亜戦争で降伏した後における韓国軍と在韓米軍や国連軍を相手にした慰安婦で韓国政府主導の元で行われた。
朝鮮戦争やベトナム戦争では韓国はアメリカ合衆国を基盤とした連合軍に参加したため、韓国で設置された慰安所および慰安婦(特殊慰安隊)は韓国軍だけでなく米軍をはじめとする国連軍も利用した。
現在も韓国の坡州市のヨンジュコルなどに存在している。
朝鮮戦争中は、「特殊慰安隊」または「第5種補給品」とも呼ばれた。他には「洋パン」や毛布一枚で米軍基地について回るという意味で「毛布部隊」とも呼ばれ、ベトナム戦争時には「ディズニーランド」とも呼ばれた。
韓国では慰安婦と言えば洋公主のことを指していたが、1991年から日本軍慰安婦のことを指すようになっている(新聞での慰安婦関連記事数)。
韓国内では、韓国軍売春婦は何故かなかったことになっており、韓国最大手の新聞朝鮮日報でも「人の心を持った国なら、自国民を国営売春婦にするという発想はしない。」との記事を出している。
1950年に始まった南北朝鮮の間で起こった朝鮮戦争中に韓国軍は慰安婦を募集した。
韓国政府は、韓国軍・米軍向けの慰安婦を「特殊慰安隊」と呼び、設立した。
大韓民国政府は、韓国軍と国連軍のための慰安所を運営し、韓国軍は直接慰安所を経営することもあり、韓国陸軍本部は特殊慰安隊実績統計表を作成していた。
部隊長の裁量で周辺の私娼窟から女性を調達し、兵士達に補給した。
韓国軍によりトラックで最前線まで補給された女性達は、夜になると開店しアメリカ兵も利用した。
募集して集めた他に、軍人の拉致、強制結婚、性的奴隷型、昼は下女として働き、夜には慰安を強要されたり、また慰安婦が軍部隊へ出張する事例もあった。
日本軍慰安婦だったとされる元「慰安婦」の証言は、韓国軍慰安婦の制度と間違って供述しているのがほとんどである(慰安婦だった時期が戦後だったり、当時日本にはなかったジープで連れ去られたなど)。
韓国政府・軍は慰安婦に対して「あなたたちはドルを得る愛国者」として「称賛」している。
慰安婦は前線に送られる際には、ドラム缶にひとりづつ押し込めてトラックで移送し前線を移動して回っていた。
日本軍慰安婦だったと証言している女性は、日本軍にドラム缶に入れられて連れられたなどと供述していることから、韓国軍慰安婦とごっちゃになっている可能性が高い。
また、日本人慰安婦も朝鮮戦争時は連れて行かれたこともあった。
人数は、朝鮮戦争後には性売買をする女性は30万人余りに達したと推測されている。
韓国陸軍本部が1956年に編纂した公文書『後方戦史(人事編)』によると韓国軍慰安婦は1952年における4小隊に限ったケースだけでも89人の慰安婦が204,560回の行為を行わされている。
韓国における慰安婦はアメリカ兵に残忍に殺害されることや、アメリカ兵によるとされる放火で命を落とすこともあった。
1930年代にも韓国では売春斡旋業者による少女誘拐事件が頻発したが、朝鮮戦争後も売春斡旋業者による少女誘拐事件が発生している。慰安婦が悲観して自殺などもあったと報道されている。
1960年代の韓国ではアメリカ軍相手の売春が国家を挙げて奨励され、国民総生産の25%を占めていた。
1970年代になると、外貨稼ぎの主軸とみなされるようになり、慰安婦・洋公主たちは「ドルを稼ぐ愛国者」、「真の愛国者」、「ドルを稼ぐ妖精」「民間外交官」と韓国政府から称賛された。
朴正煕政権は、慰安婦を新たに「特殊業態婦」という呼称でよぶようになり、特殊観光協議会と韓米親善協会が、売春の制度基盤となった1959年10月には、慰安婦の66%が性病保菌であることが検査でわかった。
朴正煕政権は性病を規制をする目的として、慰安婦を自治会に所属させ、身元などを正確に把握させた上で相互監視を行わせる教育と管理システムを運営し、自治会長は韓国警察や韓国公務員によって選定された。また、病気ではないと証明された場合には犬のようにタグを付けることを強制された。
ベトナム戦争時には、韓国政府は朝鮮戦争時と同様な「慰安隊」設置を計画したが、米軍の反対に遭い実現はしなかった。
このことがベトナムの民間女性に対する強姦事件が多発したことの一因になったとされる。韓国軍兵士はベトナム人女性を多数強姦し、フォンニィ・フォンニャットの虐殺においてはレイプ後、虐殺するケースが多かったとされる。
韓国軍兵士によるレイプによって妊娠したベトナム人女性が生んだ父のいない混血児たちをライダイハンといい、その数は3万人にのぼるともいわれる。韓国軍が制圧した地区で殺害されなかった女性は、ほとんど慰安婦にされたとされている。
しかし、韓国がベトナム戦争時、サイゴン(現ホーチミン)市内に韓国兵のための「トルコ風呂」(Turkish Bath)という名称の慰安所を設置し、そこでベトナム人女性に売春させていたことが2015年3月29日、米公文書で明らかになった。
1980年代まで韓国軍慰安婦の出身地は、ロシア、フィリピン、ボリビア、ペルー、モンゴル、中国、バングラデシュ、キリギスタン、ウズベキスタンなどが分かっている。
1990年から2002年までに5000人のロシア人やフィリピン人女性達が密入国させられた上で売春を強制させられていたことも分かっている。
現在においても、ジューシーバーと呼ばれるアメリカ軍相手の売春宿で、騙されて連れて来られたフィリピン人女性がアメリカ軍相手の売春を強要されている。
フィリピン人女性は、フィリピンに進出している韓国企業によって韓国で歌手として働くためと称した募集に応じた女性たちである。
在韓米軍自身もこれらの女性たちは歌手、ダンサーになることを夢見て韓国に来たが売春を強要されていることを報じている。
フィリピン女性達は、「ヤンキー売春婦」、「コメで動くチビ茶色のファッキンマシーン」などと呼ばれている。
2002年にアメリカのフォックステレビが、これらの女性の売春強要を報じるまでは、韓国の裁判官はフィリピン女性、ロシア女性たちの訴えを却下して来たという事実も残っている。
これまでの韓国の「日本の慰安婦制度」への批判を見ていると、「韓国軍慰安婦制度」で行ったことを日本の慰安婦制度も行ったものとして批判しているものが大半である。
しかし、旧日本軍の慰安婦の募集・慰安所の経営が民営であったのに対し、韓国軍の慰安婦は軍直営どころか「慰安隊」という正規の軍組織であった。
なお、日本軍慰安婦の場合は公募によるものであり、当時の公務員の平均給与を超えた高額給与が慰安婦に支払われていた(日本軍兵士の給料が15円から20円の時代に月平均で1500円貰っていたと言われる)。